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【chikiの著作権のおはなし 第7回】 第1章 「ケンリシャ」いったい何者だ?(6)

 こんにちは、chikiです。
 今日は、大通公園で完成間近の雪ミクを見てきました!
 イベントとか、フィギュア販売とか、わたくしたちにとってもワクワクの雪まつりですけれど、これまでわたくしたちをささえてくださったファンのみなさまに、しっかりたのしんでいただけるように祈っています。

 前回は「つよすぎる著作権がわたしたちをなやませる」ということについておはなししました。権利者のくせにこんなことをかんがえる、というのは、chikiの知っているかぎりでも何人かおられますが、でもすくないことにはちがいありません。
 そういう意味で、第2回でおはなししたように、クリプトンは「へんなケンリシャ」なのだとおもいます。
 今回は、どうしてわたしたちがこういうことを考えるようになったのかについて、おはなしします。

 みなさまもご存知のとおり(ではないかもしれませんが)、クリプトンは「音を売る会社」です。
 音楽ソフトや携帯コンテンツとしてたまたまキャラクターをあつかうようになりましたが、もともとキャラクタービジネスの会社ではありませんでした。
 そうした「シロウト」の立場から感じた違和感が、スタートでした。

 2007年9月にわたくしたちがたくさんの「初音ミク動画」から感じたおもしろさは、ユーザーのみなさまに絵をそのまま、あるいはさまざまに変化させて使っていただいたことで、キャラクターの存在感が増した、ということでした。
 もちろん、世の中には「ほかの人に使わせない」というきびしい姿勢をまもることで、キャラクターの価値をたかめることに成功しておられる権利者もおられます。
 でも、ファンが自由につかうことで、存在感をたかめているキャラクターというのもまた多くあるのもたしかなのでしょう。「初音ミク」というのは、まさにそのような存在でした。

 これは次回からおはなししますが、キャラクタービジネスをふくむコンテンツビジネスとは、

ホンモノをコピーする権利、ホンモノをべつのものにさせない権利をひとりじめして、
ホンモノを売ってかせぐ

というやりかたです。
 しかし、「ある作品をマネしながらべつのものに変えていく」ということは、むしろ文化にとって自然なことですし(これも次からおはなしします)、この点でこのモデルにはそんなに大きくはないのだけれど、もともとちょっとムリがありました。
 そのムリは、インターネットによって、だれでもかんたんに作品のコピーができるようになって、なおすことのできないものになってしまいました。
 これは、権利者に大きなダメージとなってしまうものと、ぎゃくに権利者に経済的なダメージがほとんどないもののふたつにわかれるといえます。わたくしたちの違和感は、このうちふたつめまでもコントロールしてしまうということにありました。

 わたくしたちは、権利者とファンがたがいをみとめあい、協業したほうが建設的だろうという、ばくぜんとしながらもたしかな「予感」を追求することにしました。
 キャラクターの権利をすてるのではありません。
 権利をもったまま、法をまもって利用の範囲をひろげるライセンス、基準をつくることが、ウェブ空間の創作を前にすすめるものと信じています。
 たしかな答をもっているわけではありませんが、 既存のキャラクタービジネスモデルにのらないわたくしたちが「なにか」をすることで、コンテンツ産業が次のステップに進める可能性がみえれば、とおもっています。
 

 さて、この「権利をもったまま」ということがなかなかむずかしい、ということを次回はおはなしします。それが、「つよすぎる権利」によって起こるものなのです。
 それでは、また!

(知規)