こんにちは、chikiです。
雪まつりも終わって1週間がたちましたけれど、その最終日にこんな新聞記事がありました。
そっくり雪像 著作権に配慮(YOMIURI ONLINE 2010年2月11日、リンク先はgoogle news検索結果)
わたくしたちのVOCALOIDキャラクターについていえば、PCLに従っていただければ雪像もおつくりいただけるので、それについてはみなさまもご安心ください。
けれど、そのほかで、chikiにはいろいろ考えさせられる内容でした。
(このコラムと関係していうと、「だれがつくったものか」「営利目的なのか」「どこまで似ているのか」「名前はつかっているのか」「そもそもなんでリンク先を記事ではなくgoogleにしてるんだ?」とか、みなさまもいろいろお考えになってください。)
chikiもたくさん雪像を見ましたけれど、「名前をそのまま書かない」とか「わざとそっくりにつくらない」とか、いろいろな工夫がありました。もちろん雪まつりにおける著作権のことは、今年いきなり問題になったわけではないですが、「市民が著作権を考えなければならない」時代を、この記事はあらわしているように思い、ご紹介しました。
さて、前回は、著作権の基本的なリクツがどうなっているか、なぜそうなったかについてお話しました。今回は、それがいま、どうなっているかについてです。
著作権によって、著作物を複製することがひとりじめできるようになりました。そうすると、売れそうな作品はたくさんコピーしてたくさん売って、大もうけすることができます。
そういう著作権法をつかうことで、とくにこの100年の間に、音楽や映画といった「コンテンツ産業」が高度に発達しました。
あまりに発達したものですから、いまさらコンテンツ産業のしくみを変えるのはとてもむずかしくなっています。
そして、そのしくみの中でたいせつな役割をもつ著作権法も、これを大きく変えてしまうとコンテンツ産業にダメージをあたえますから、やっぱり変えるのはむずかしいのです。
いっぽうで、今は複製が、誰でもできるくらいカンタンであたりまえのことになりました。
たとえば、買ってきたCDの音楽を動画につかって動画共有サイトに投稿したり、好きなキャラクターの絵を描いてブログにのせたり、こういうことはだいたい「複製」になります。
人はやっぱり「創作したい」「発表したい」と思うのが自然なのでしょうか、カンタンに複製できると、そうします。それを「ファンによるありがたいものだから」と権利者が思っても、利用の数がとても多いので、昔のようにそのことを認めるための契約をむすぶことはとてもできません。
むかしは権利者にとって便利だった、「つよい権利」と「自由な契約」というルールが役にたたない、こういう場面が増えてしまっているのです。
そして、インターネットというメディアの発達は、いままであれば「かぎられた範囲の中での利用だから」と見すごすこともできた、権利者が認めていない複製物を、たいした手間もかけずに全世界へ届けることができる時代をもたらしました。
こういう時代では、すくなくとも権利者が好ましいと思うような複製については、それを、たとえかたちだけにすぎない「違法」であっても、そのままにしておくべきではないでしょう。
chikiはPCLをつくっているときそのように思い、昨年、このブログでPCLについてこう書きました。
法律上は「海賊行為」となってしまうことは、弊社にとっても納得しかねるところです。
今回、「ライセンス契約」というかたちでPCLを制定しましたのは、
このような状態を解消したいという思いによるものでした。
かんたんには変えられない著作権法のもとで、どうしたら「創作の自由」を広げられるのか、そのことをわたくしたちはこれからも考えていきます。
さて、この章はこれまで、「クリプトンというケンリシャ」のことについてお話ししてきました。
しかし、chikiはわたくしたちのことだけをふれるつもりはありません。
二次創作におけるケンリシャは、みなさまがたクリエイターのことでもあるのです。
そのことについて、つぎからお話しします。
それでは、また!
(知規)