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【chikiの著作権のおはなし 第4回】 第1章 「ケンリシャ」いったい何者だ?(3)

 こんにちは、chikiです。
 はじめましてのかたは、あらためまして、はじめまして

 前回は、先住民族における文化の考えかた、つまり「だれかがつくったものがみんなのものとなる」ということが、ウェブ空間での創作活動によく似ているというところで終わりました。
 今回は、このことについておはなしします。

 「つくった作品が、それをつくった人のものになる」というのは、誤解をおそれずにいえば、文明社会の考えかたです。

 これに対して、先住民族では、これもあえて乱暴にいうと、作品がだれか「だけ」のものという考えかたがありません。基本的に、作品や文化は「つくった人をふくめたみんなのもの」になります。
 そして、「みんなのもの」とはいっても、だれもがその作品、その文化を勝手にあつかえるわけではありません。みんなの同意なしに、社会や民族のそとに作品をゆずりわたすようなことはできませんし、そうするときにはじぶんたちの文化にしたがい、みんなの利益になるようにしなければなりません。

 こうした文化のありかたというのは、文化の発展ということでいえば、文明社会の考えかたよりもずっとすぐれた一面ももっています。
#もちろん、文明社会の考えかたとくらべてよわい一面ももっています。
#全体としてどちらがよりすぐれた考えかたということをくらべることはできません。

 そしてこうしたことは、ウェブ空間での創作文化によく似ている点もあるようにchikiは思うのです。

 数年前のことになりますが、ウェブ空間で人気のあるアスキーアートによく似たキャラクターが商標登録されようとして、大さわぎになったことがありました。

 これは、「みんなのもの」が「みんなの合意なしに」「勝手に誰かのもの」になるのではないかとおもわれたことからうまれた、ネットユーザーによる巨大な反発でした。
 ウェブ空間での創作活動は、ひろい視野でみれば、先住民族の文化のように、「みんなのもの」「みんなの文化」「みんなの利益」ということをなによりも重視するということが大きな原理になっているといえるでしょう。

 しかしながら、現代社会においては、先住民族のほとんどは、法的にはいずれかの国家に属しています。そして、現代における国家のほとんどは、文明社会でその原則がうまれた著作権法をもっています。
 ところで、上の文章は、先住民族のところをネットユーザーにいれかえてもなりたちます。そして、そのことがchikiの、そしてわれわれクリプトンの大きななやみのひとつになっているのです。

 それがなにか、ということについては、次回をおたのしみに。
 それでは、また!

(知規)